俳優の佐藤慶さんが死去 「青春残酷物語」などで存在感

佐藤慶

渋い脇役として映画、テレビで活躍した俳優の佐藤慶(さとう・けい<本名・慶之助=けいのすけ>)さんが2日午後4時19分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。81歳。

福島県生まれ。同県会津若松市役所勤務をへて、俳優座養成所に入所し、1954年「赤いランプ」で初舞台。テレビ、舞台などに出演し、59年、映画「人間の条件・第三・四部」(小林正樹監督)で注目された。以後、「切腹」などの小林監督作品、「青春残酷物語」「絞死刑」「儀式」などの大島渚監督作品の常連となった。

また山崎豊子さんの小説が原作のテレビドラマ「白い巨塔」では、主役の財前助教授を演じ、悪のにおいを漂わせた知的で冷淡な役柄で、強烈な存在感を見せた。

観念的な独立プロの作品から娯楽作品、テレビドラマまで幅広く活躍した。

「日本のおばあさん」女優・北林谷栄さん死去

北林谷栄

「日本のおばあさん」を演じると第一級だった劇団民芸の北林谷栄(きたばやしたにえ)(本名・安藤令子(あんどうれいこ))さんが、4月27日午後8時40分、肺炎のため亡くなった。98歳だった。

告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主は長男、河原朝生(かわはらあさお)さん。連絡先は、川崎市麻生区黒川649の1の劇団民芸。

東京・銀座生まれ。山脇高等女学校卒業後、創作座に入り、1935年に初舞台。47年、民衆芸術劇場(第一次民芸)結成に参加し、50年に滝沢修、宇野重吉らとともに劇団民芸(第二次民芸)を設立した。

20代後半で演じた「とんど祭り」の老女役で認められて以来、老け役を数多く演じた。幼少時、祖母の手で育てられたことが役立ったといい、日頃から衣装やメークの研究を怠らないことでも知られた。

最大の当たり役は、小山祐士作「泰山木(たいさんぼく)の木の下で」の神部ハナ。家族を戦争で失った不幸や貧困にめげない、明るくたくましい人間像を作りあげ、63年の初演以来400回を超すステージを重ねた。最後の舞台になったのも、2003年3月の、この作品だった。

映画やテレビでもおばあさん役者として早くから活躍。今井正監督「キクとイサム」(59年)では、娘が米兵との間に産んだ姉弟を育てる祖母を好演し、毎日映画コンクールとブルーリボン賞の女優主演賞を受けた。60年には、今村昌平監督「にあんちゃん」でサンフランシスコ国際映画祭最優秀助演賞。テレビでも、日本テレビ「機の音」(80年)で118歳の役を演じ、話題になった。

89年に動脈瘤(りゅう)破裂で倒れて前頭部の手術を受けたが、91年、映画「大誘拐」で見事に復帰。富豪の老婦人を愛嬌(あいきょう)と威厳をもって演じ、キネマ旬報賞、日本アカデミー賞など主要な女優賞を独占した。

舞台では、75年に「お尋ね者ホッツェンプロッツ」で作・演出に挑戦。96年の「波のまにまに お吉」で演出・出演を兼ねたほか「黄落」(97年)や「蕨野行」(99年)の脚色・主演を次々にこなした。69歳で半年間ロンドンに留学するなど進取の気質と誇りを失わず、90歳を過ぎても現役女優だった。

72、82、98年に紀伊国屋演劇賞、99年に読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。著書に「蓮以子(れいこ)八〇歳」がある。78年、紫綬褒章受章。

フアン・アントニオ・サマランチ氏死去

フアン・アントニオ・サマランチ

五輪の商業化やプロの参加を推し進め、世界のスポーツ界に多大な影響を与えた国際オリンピック委員会(IOC)の前会長、フアン・アントニオ・サマランチ氏(89)が21日、亡くなった。

 「五輪で国や街は変わる。巨額の資金が投入され、20年も25年もかかる都市の発展が、五輪という名のもとに一気に実現する。64年の東京五輪もそうだ。新幹線が開通し、東京にも日本にもプラスになったはずだ」

 インタビューの時間はわずか30分だったが、サマランチ氏はゆっくりとした口調で持論を展開した。「現在の五輪にネガティブな面を私は見ない。五輪が多大な利益をもたらすことに世界の都市は気づいている。ニューヨークもロンドンもパリも、だ」「五輪は経済的な見返りを得られるサイクルを生み出した。われわれは優秀な選手を集め、参加させることに成功した」
そんな中で一つ、興味深い言葉を吐いた。その年の夏に五輪を開くアテネへの思いだった。「ギリシャに対しては借りがある。第1回大会を開いた1896年以来、五輪発祥の地であるギリシャの人々はこの日を待ち望んでいただろう」。借りとは何なのか? サマランチ氏は答えた。「五輪が始まって、110年近くもあの地に戻れなかったことだ」
アテネは近代五輪発祥100周年にあたる96年の五輪開催地に立候補した。が、選ばれたのはアトランタ。五輪のメーンスポンサーであるコカ・コーラのおひざもとだ。アトランタ五輪は商業化の象徴として「コカ・コーラ五輪」と呼ばれた。
サマランチ氏の評価は功罪相半ばしている。五輪が黒字化した半面、過剰な商業主義への批判は絶えなかった。サマランチ氏自身は少し負い目を感じていたのではないか。「借り」という言葉は、アテネへというより、五輪の原点である純粋精神への「借り」であったように思える。

井上ひさしさん死去 作家、小説「吉里吉里人」 75歳

井上ひさし

小説「吉里吉里人(きりきりじん)」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・廈=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。

家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。

井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久さんとともに執筆、一躍人気を集めた。

44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。

小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。遅筆でも有名で、「遅筆堂」とも自称していた。

一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。

戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊国屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。

◆哲学者、梅原猛さんの話「『ひょっこりひょうたん島』のころから恐ろしい逸材と思っていた。井上君の喜劇はピリッとした社会風刺とユーモアに満ちていて、いつも弱者の立場に立っていた。喜劇の新しい形を作った人物で、思想の違いを超えて尊敬していた。ここ2、3年は会っていなかったが、僕も3回がんをやっているから大丈夫だろうと思っていたので、残念でならない。85歳の僕よりだいぶ若いのに…」

◆今村忠純・大妻女子大教授(日本近代文学)の話「昨年10月には雑誌のこまつ座25周年特集で対談し、『こまつ座で、じっくり脚本を書いていく』との話が印象的だった。あらゆる領域で活躍され、何十人かかってもできない仕事量をこなした。小説と戯曲が両輪になり、読み物に大きな価値を与えた」

巨人・木村拓也コーチが死去

2日のプロ野球広島-巨人戦(マツダ)の試合前、くも膜下出血で倒れた巨人の元選手で1軍コーチの木村拓也(きむら・たくや)さんが7日午前3時22分、入院先の広島市内の病院で死去した。37歳だった。

木村さんは2日の試合前のシートノックでノッカーを務めていたが、本塁付近で突然倒れ、広島市内の病院に救急搬送されていた。診断の結果、木村さんは「くも膜下出血」と判明。意識不明の状態が続いていた。木村さんは宮崎県出身。1991年、宮崎南高からドラフト外で日本ハムに入団。95年に広島、2006年に巨人へトレードで移籍した。投手以外のすべてのポジションを守る万能型の選手として活躍。04年のアテネ五輪には野球日本代表として出場した。木村さんは昨年の日本シリーズ終了後に、現役引退を表明。今季から内野守備走塁コーチを務めていた。

■木村 拓也コーチ(きむら・たくや)
宮崎南高から1991年、捕手としてドラフト外で日本ハムに入団し、俊足を買われて外野手に転向。95年に広島に移籍し、2006年から巨人でプレー。内野も外野もこなせる両打ちのユーティリティープレーヤーとして活躍し、04年にはアテネ五輪日本代表に選ばれた。09年限りで現役を引退し、今季から巨人の1軍内野守備走塁コーチに就任した。

「レナウン娘」歌手のしばたはつみさん死去

 「マイ・ラグジュアリー・ナイト」などパワフルな歌唱で知られる歌手、しばたはつみ(本名・細合はつみ=ほそあい・はつみ)さんが27日午前6時、急性心筋梗塞(こうそく)のため、静岡県伊東市の自宅で死去した。57歳。

ピアニストの父とボーカリストの母の長女として東京で生まれる。9歳で米軍キャンプの将校クラブで歌い始め、11歳で「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手に。15歳からCMソングなどを歌い、「OH! モーレツ」(丸善石油)や「レナウン娘」(レナウン)などが流行した。

昭和49年「合鍵」でレコードデビュー。52年「マイ・ラグジュアリー・ナイト」が大ヒットし、NHK「紅白歌合戦」に出場した。フランク・シナトラやサミー・デイビスJr.の来日公演に出演するなど、海外のショービジネス界に通用する数少ない日本人シンガーとして活躍していた。

「チャンバラトリオ」の南方英二さんが死去

ハリセンと本格的な殺陣を組み合わせた時代劇風コントで人気を得たお笑いグループ「チャンバラトリオ」の南方英二(みなかた・えいじ、本名・楠本喜八郎=くすもと・きはちろう)さんが26日午後8時33分、肝硬変のため大阪府内の病院で死去したことが27日、明らかになった。77歳だった。芸人仲間から「頭(かしら)」と慕われた芸歴50年以上の大ベテラン。先月まで劇場に立ち、最後まで現役を貫いた。

ボケ役の顔や頭を「ハリセン」でバシッとたたいて突っ込み、たたかれた方は大げさに痛がる‐。大人気コント「大阪名物ハリセンチョップ」で一世風靡(ふうび)した芸人が逝った。

所属の吉本興業によると、南方さんは20日に体調不良を訴えて大阪府内の病院で診察を受け、肝硬変と診断。入院はせず自宅で静養していたが、26日に容体が急変し、病院に搬送されて息を引き取った。

最後の仕事になったのは1月5日から11日まで出演した大阪・京橋花月での舞台。「特に変わった様子はなく、いつも通りにされていました」(劇場関係者)という。

メンバーの高齢化などもあり、最近は劇場出演は2、3カ月に1回のペースになっていた。しかし、「あれだけのキャリアがあっても舞台では常に全力勝負。後輩の良い見本だった」と関係者は話し、仕事への情熱は一向に衰えていなかった。

ただ、病院は苦手だったようで「定期的に診察を受けるようなこともなかったし、好きなお酒と芸を楽しんでらっしゃったと思います」と芸人らしく生きた人生だった。

リーダーの山根伸介(73)は「あと2年で50周年を迎えることになり、『きれいに幕を下ろしたい』と2人で誓った矢先でした」と突然の死を悼んだ。「残った私が若手や吉本の手を借りて、何とか結成50周年をやり遂げますので見守ってください」とコメントした。

南方さんは故萬屋錦之介さんに師事し、63年に「チャンバラトリオ」を結成。時代劇俳優出身という経歴を生かした本格的な殺陣とハリセンを組み合わせた芸で人気者となり、76年には上方漫才大賞を受賞した。

俳優としても活躍し、北野武監督作品「ソナチネ」などにも出演した。

俳優・藤田まことさん死去

ドラマ「必殺」シリーズやコメディー「てなもんや三度笠」をはじめ、テレビや映画、舞台などで幅広く活躍した俳優の藤田まこと(ふじた・まこと、本名・原田真=はらだ・まこと)さんが17日午前7時25分、大動脈からの出血のため大阪府吹田市の病院で死去した。76歳だった。

藤田さんは2008年に食道にがんが見つかり手術。静養後の09年1月にカムバックしたが、11月に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため再びドラマを降板して治療に専念。今年1月に時代劇「必殺」シリーズのナレーションの仕事で復帰していた。

東京都出身。無声映画時代のスターだった俳優、藤間林太郎の次男として生まれた。幼少時に関西に転居して、高校卒業後に歌手としてデビュー。司会や声帯模写、物まねなどのタレント活動も行い、1957年の「びっくり捕物帖」や61年の「スチャラカ社員」(いずれも大阪・朝日放送制作)にレギュラー出演したことがきっかけで人気者となった。

62年から白木みのるとのコンビで主役を張った「てなもんや三度笠」(同)が大ヒット。「当たり前田のクラッカー」「耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたる」などのギャグでお茶の間を沸かせた。

73年には、時代劇「必殺」シリーズの第2弾「必殺仕置人」に同心、中村主水(もんど)役で出演。嫁姑に「ムコ殿!」と呼ばれる”昼行灯”の同心が、裏ですご腕の剣士として悪人を葬り去る中年男を熱演。シリーズは昨年の第31弾「必殺仕事人2009」まで続き、主水は当たり役となった。

88年から始まった「はぐれ刑事純情派」では温和で人情に厚いベテラン刑事、安浦吉之助を演じ人気を集めた。そのほか「京都殺人案内」「剣客商売」シリーズなども好評で、映画「日本の青春」「明日への遺言」などで見せたシリアスな演技も評価された。またミュージカル「その男ゾルバ」に主演したり、歌手としても活動するなど、多方面で才能を発揮した。芸術選奨文部大臣賞など受賞は多数で、02年に紫綬褒章受章。

その一方で、1993年に妻が経営する中華レストランが倒産し、約30億円ともいわれる巨額の借金を抱え込んだことも。大阪府豊中市にあった「主水御殿」と呼ばれる自宅を約4億円で売却しても足りず、藤田さんは無休で俳優業に専念して完済した。

関係者によると、06年から大阪府箕面市のマンションに家族とともに住んでいた。

5日放送されたフジテレビ系ドラマ「剣客商売スペシャル 道場破り」で、人情味あふれる老境の剣客姿で時代劇ファンを堪能させたばかり。能村庸一ゼネラルプロデューサーは「時折つらそうにされていたが、芝居に入るとそんな気配はみじんも見せない。本物の役者だった」と、昨秋行われた撮影当時の様子を振り返った。

【藤田まことさんの主な出演作品】

■テレビドラマ

「てなもんや三度笠」(1962~79年)
「必殺シリーズ」(1973~2009年)
「京都殺人案内シリーズ」(1979年~)
「はぐれ刑事純情派シリーズ」(1988年~2009年)
「剣客商売シリーズ」(1998年~2010年)

■映画

「てなもんや三度笠」(1963年)
「日本の青春」(1968年)
「衝動殺人・息子よ」(1979年)
「劇場版必殺シリーズ」(1984~99年)
「はぐれ刑事・純情派」(1989年)
「明日への遺言」(2008年)

■舞台

「東海林太郎物語 歌こそ我がいのち(1985年)」
「その男ゾルバ」(1986年)

玉置宏さん死去 名司会「1週間のごぶさたでした」

玉置宏

大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」館長で司会者の玉置宏(たまおき・ひろし=本名・玉置宏行)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため死去した。76歳だった。

「1週間のごぶさたでした」の名調子で知られるベテラン司会者の玉置さんの”体調不良”は6日に各メディアが一斉に報じ、8日になってから玉置さんの長男・雅史氏が同館を通じて「現在、玉置宏は神奈川県内の病院に入院しております」とコメントを発表していたが、詳しい病状などは明らかにしていなかった。

玉置さんは1956年、明治大学商学部卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社。1958年よりフリーとなり司会業に専念し「ロッテ歌のアルバム」(TBS系)、『象印スターものまね大合戦』(テレビ朝日系)、『にっぽんの歌』『昭和歌謡大全集』(テレビ東京系)、『玉置宏の笑顔でこんにちは!』『玉置宏の芸能伝説』(ニッポン放送)、『ラジオ名人寄席』(NHKラジオ第一)などの長寿番組を担当していた。日本司会芸能協会名誉会長。

森繁さん偲ぶ会 枚方市民ら1200人「知床旅情」合唱

大阪府枚方市出身で、昨年11月に96歳で亡くなった俳優の森繁久弥さんの市葬「名誉市民・森繁久弥さんを偲(しの)ぶ会」が6日、同市民会館であり、遺族や地元選出の平野博文官房長官のほか、市民ら約1200人が出席した。
森繁さんは同市で幼少期を過ごし、84年に名誉市民となった。会場には直筆の手紙や写真を展示。全員で黙とうし、森繁さんが作詞・作曲した「知床旅情」を合唱した。
竹内脩市長が「私たちに生きることのすばらしさを教えてくれた」と追悼の言葉を述べ、平野長官は「地元の、人生の大先輩である森繁さんの足跡に学び研さんを積みたい」と語った。

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